人の生死に無関心な理由
(2016.4.17)
熊本の余震、まだ続いているようですね。
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
これ以上被害が広がらないよう
地震が早くおさまりますように。
今回のように大きな災害が起きると
ネット上に、お悔みの言葉やねぎらいの言葉が
一斉に飛び交います。
でも、そんな中・・・・・・
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何大騒ぎしてんの?
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いい人ぶってさ
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どーせ人間、いつか死ぬんだよ
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などと思い
「こんな風に思うのは、ちょっとオカシイのかな・・・」
と罪悪感を持ってしまう人がいます。
これを読んで「何と不謹慎な!」と憤慨している
人がいる反面、
「実は、私もそうなんだよね・・・表面的には
みんなと合わせてるけど」と
思っている人もいることでしょう。
なぜそんな風に、人の生死に関して
無関心になるのでしょうか?
それは・・・・・・
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存在するな
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という,心のブレーキを持っているからです。
これを持っていると・・・
「私が消えたって別にどうってことないでしょ?」とか
「どうせ誰にも必要とされてないし」
「私なんていない方がいいんだ」と感じてしまい
自分自身に存在価値があると思えなかったり
またそういう想いがあるから
反対に、過剰に自分の存在をアピールする人も
います。
うつやアルコール依存症になる人は
ほぼ例外なく、この「存在するな」を持っています。
だから、もしあなたが
震災のニュースを見聞きして
他の人のように心が痛まなかったり
何かしないと!と思えなかったとしても
自分を責める必要はありません。
自分の存在価値を感じられない人は
自分の生死に関して執着がない分
他人の生死にも関心が持てないのです。
もし思い当たるところがあれば
これをきっかけに
まずは自分を大切にするところから
はじめてみましょう。
自分を責める習慣をやめ
自分の感情や欲求を大切にして
自分をとことん可愛がってあげましょう。
自分に存在価値があると思えるようになったら
おのずと内面に変化が起きてきます。